
脱サラして動画編集の副業に賭けた夫は、理想と現実の間で苦しみながらも、支えてくれる妻・あかりの存在に救われていました。しかし、資金が尽き、生活が傾き始めたときに手を差し伸べたのは、かつての後輩・谷原でした。彼が提示した「借金返済の方法」は、あまりにも常軌を逸したものでした。――それは、妻を使った“ネトラレ動画”の販売。
最初は拒絶しながらも、生活のため、夫婦で選んだこの道が、ゆっくりと歯車を狂わせていきます。撮影のたびに笑顔を作る妻、レンズ越しに覗く夫。二人の間に生まれる沈黙は、愛情の証ではなく、どこか取り返しのつかないものへと変わっていく。
「これは借金返済のため」――そう自分に言い聞かせながらも、妻の視線の奥にあるわずかな迷いと快楽が、夫の心を少しずつ壊していく。理性と欲望、信頼と背徳、そのすべてが絡み合う中で、愛という名の均衡は静かに崩れ始めていくのです。
“撮影”を超えた行為──妻が見せたもう一つの顔
夫が「今回で最後です」と信じて送り出したその日、あかりは間男・谷原の待つ部屋へ向かいました。けれど、そこに漂っていたのはこれまでの“撮影”とはまるで異なる熱でした。照明の明るさも、カメラの位置も、どこか形式を失ったような空気に包まれており、ただの撮影ではないと直感できる雰囲気だったのです。夫の胸の中では「仕事のため」という言い訳が何度も浮かんでは消え、不安と恐怖が入り混じっていました。

レンズ越しに見るあかりの姿は、確かにいつもと違って見えたのです。震える唇の奥には迷いがあり、拒むように見せた仕草の裏には、どこか惹かれるような熱がありました。演技なのか、それとも心の奥にある本当の感情なのか、夫にはもう判断がつきません。そんな曖昧さの中で、あかりはゆっくりと“妻”ではなく、“女”としての表情を浮かべ始めるのです。
行為は止まることなく、時間と現実が混ざり合っていきます。
借金返済という言葉は、次第に“正当化のための言い訳”に変わり、夫の心は静かに崩れ落ちていきました。愛しているからこそ信じたい。けれど、その想いすら届かない現実が、目の前に広がっていくのです。
夫視点の絶望──愛する人を見送る恐怖
夫は、玄関であかりを見送るたびに心が締めつけられていました。彼女の背中が見えなくなる瞬間、そのたびに「これが本当に最後なのか」と自問していたのです。借金を返すための行為と自分に言い聞かせても、心の奥に生まれる不安は日に日に膨らんでいきました。信じたいのに、信じるほどに怖くなる――その感情は、愛と恐怖が入り混じった複雑な痛みそのものでした。

あかりが戻ってくる夜、彼女の笑顔はいつも通りでした。食卓に並ぶ料理も変わらず、まるで何事もなかったかのように振る舞う姿に、夫は救われるような気持ちと、底知れない違和感の両方を覚えていたのです。
「撮影はどうだった?」と尋ねても、「大丈夫、もう少しです」と返す彼女。その言葉の中にある“もう少し”が何を意味しているのか、夫には聞く勇気がありませんでした。
レビューで“ホラー映画のような構成”と評されたこの作品が強く印象に残るのは、この夫の視点が徹底されているからです。愛する人を信じたい、けれど目の前の現実はその信頼を静かに壊していく。
夫が見つめるその世界は、もはや現実ではなく、愛という名の恐怖に飲み込まれていく悪夢そのものだったのです。
シリーズ完結──はいとく先生が描く背徳の終着点
『妻にモザイク3』は、はいとく先生が描き続けてきた“堕ちていく愛”の物語に、ひとつの終止符を打つ作品です。これまで積み重ねられてきた葛藤や罪悪感、そして愛と快楽の狭間で揺れる心の軌跡が、今作でついに頂点を迎えます。
NTRというジャンルの中でも、単なる背徳的な快楽描写ではなく、夫婦の心理を深く抉る構成が印象的です。レビューでも「ホラー映画のよう」と評されるように、はいとく先生の筆致はどこか静かで、それでいてぞっとするほど生々しいのです。

モノクロのコマに漂う余白の静けさが、逆に登場人物の心の乱れを際立たせています。描線の繊細さ、視線の揺らぎ、息遣いのような台詞の間――そのすべてが、物語の終焉をより濃密に感じさせてくれます。
最後のページを閉じたあと、胸に残るのは興奮でも絶望でもなく、「この結末をどう受け止めればいいのか」という感情の余韻です。はいとく先生が見せる“背徳の終着点”は、まさにNTRというジャンルの奥深さを再認識させてくれる傑作です。
最近は作品名で検索すると違法アップロードサイトが出てくることがありますが、ウイルス感染 の危険性があります。作品を安心して味わうなら、正規版 がおすすめです。圧縮や欠落の心配がなく、作者が意図した 解像度・順番で楽しめます。後からの修正・更新にも 再ダウンロードで対応できます。
※作者の次回作への支援にもつながります。サンプル画像










