ノベルゲームというジャンルにおいて、今なお語り継がれている作品のひとつが『Ever17 -the out of infinity-』です。2002年に初めて登場して以来、その評価は時代と共に大きく変化してきました。発売当初こそ、雑誌レビューでは伸び悩み、特に序盤のテンポに対して厳しい意見も目立っていたのですが、実際に最後までプレイした人々からは「こんなに凄い作品だったのか」と驚きをもって受け止められるようになりました。
その評価の裏には、いわゆる“叙述トリック”と“伏線回収”という、物語を語る上での極めて高度な仕掛けが隠されています。そして、何よりも特筆すべきなのが、それらが単に構造上巧妙なだけでなく、プレイヤーの感情に深く入り込み、プレイ後には「記憶を消して、もう一度最初からやり直したい」とまで思わせるほどの没入体験を与えてくれる点にあります。
この記事では、Ever17がなぜ今、改めて“名作”と呼ばれるようになったのか。その理由や背景、そして実際にどんな人におすすめしたい作品なのかを、当時の評価と現在の再評価を紐解きながら、丁寧に掘り下げていきます。
Ever17とはどんな作品か?
『Ever17 -the out of infinity-』は、キネティックノベルやサウンドノベルといった形式のゲームに分類される作品の中でも、とりわけ“叙述トリック”と“構造美”に重きを置いたタイトルとして知られています。舞台は、海底に存在する閉鎖型レジャー施設「LeMU(レミュウ)」。突如としてその施設に閉じ込められることになった若者たちが、限られた時間の中で生き残りを賭けて行動していく、というのが物語の大枠です。
ただ、この作品の真価は、あらすじだけを追ってもなかなか見えてきません。むしろ“何を語っていないか”という点にこそ核心があり、プレイヤーは繰り返し異なる視点で物語を体験していく中で、少しずつ「本当に語りたかった物語」の全貌に近づいていく構成になっています。この仕掛けこそが、Ever17を単なるSFノベルゲームにとどまらない存在へと押し上げた要因でもあります。
ちなみに、本作には二人の主人公が存在していて、それぞれの視点で物語を追いながら、異なる角度から同じ時間軸に触れていく構造が採られています。この“視点の切り替え”が非常に巧妙で、プレイヤーが後半に差し掛かった頃には、冒頭から張り巡らされていた伏線の意味が、まったく違った形で浮かび上がってくるんです。その驚きは、単なるどんでん返しとは少し異なります。むしろ「そういうことだったのか……」という静かな衝撃が、心の奥にずしりと残るような感覚に近いです。
このように、Ever17はその物語体験そのものが仕掛けであり、仕掛けそのものがプレイヤーの記憶と感情に結びついていく設計になっています。表面的な展開だけを追っていたら到底気づけない奥行きが、プレイを重ねるごとにじわじわと姿を現してくる。その点で、物語に“向き合う姿勢”そのものを問われるようなゲームでもあるわけです。
当初の評価と評価変化の背景
そんなEver17ですが、発売当初の評価は決して高いものではありませんでした。特に雑誌レビューのスコアに関しては、読者からすれば「え?」と首をかしげたくなるような結果が並んでいたんですね。たとえば、ゲーム総合誌として知られる『ファミ通』では、PS2版とドリームキャスト版が26点(40点満点中)という辛口評価を受けていて、これだけを見ると“凡作”と誤解されてもおかしくない数値だったんです。
その低評価の原因として挙げられていたのが、序盤のテンポの遅さや盛り上がりに欠ける印象でした。確かに、本作の導入部分は比較的ゆるやかに物語が進んでいきますし、一見すると“閉じ込められた施設からの脱出劇”としての緊迫感が希薄に映ってしまうかもしれません。ただ、それは作品全体を通して見れば、計算された“静けさ”であって、むしろ終盤で訪れる巨大な波のための“引き”だったとも言える構造なんです。
実際、そうした雑誌の評価に対して、当時のプレイヤーたちからは相当数の抗議が寄せられたという記録も残っています。「最後までプレイせずに評価を下しているのでは?」という疑問の声が相次ぎ、それが再評価のきっかけになったとも言われているんですね。プレイヤー側が“声を上げた”という点でも、非常に珍しいケースだったのではないでしょうか。
時間が経過するにつれて、Ever17は徐々に評価を取り戻していきました。とくに海外ではその再評価の流れが顕著で、RPGFanでは93%という非常に高いスコアを記録していますし、Steam版においても7割を超えるポジティブ評価がつけられています。Amazonのレビューでも、「記憶を消してもう一度プレイしたい」といった、作品への強烈な没入感を示す感想が多く見られます。こうした評価の変化は、単に“時間が解決した”という話ではなく、本作の持つ構造的な特性が“短時間のレビューに適していない”という根本的な性質に起因していると見た方が自然です。
要するに、Ever17という作品は、短時間で触れただけでは“判断してはいけない”タイプの物語だったということなんです。そのことに気づいたプレイヤーたちが、自らの体験をもとに少しずつ“語り継ぐ”ことで、時間をかけて評価が成熟していった。こうした背景があってこそ、現在の“伝説的ノベルゲーム”というポジションに落ち着いたというわけです。
Ever17の最大の魅力とは
評価が大きく変化した理由を辿ると、Ever17という作品が持つ“物語構造そのものの強度”に行き着きます。単にストーリーがおもしろいとか、キャラクターが魅力的だとか、そういう表層的な評価軸を超えたところに、このゲームの真価があるんです。
何よりも圧巻なのは、すべての伏線が最終シナリオでひとつに収束していく瞬間の圧倒的な衝撃と感動。ゲーム中のあらゆる選択、あらゆるセリフ、あらゆる視点が、ただの演出としてではなく、“意味のあるピース”として回収されていく構成が、まさに奇跡的なんですね。しかも、その収束のさせ方が力技ではなく、物語の中に自然と埋め込まれた“叙述トリック”によって成立しているあたりが、本作を単なる傑作ではなく“伝説”にまで押し上げている大きな要因です。
具体的に言えば、物語の前半でプレイヤーが違和感を抱かない程度に忍ばせてあった事実が、最終盤に入って一気に意味を変えて立ち現れてくる。その時点で、こちら側の認識がガラッと塗り替えられてしまうんです。そして何よりすごいのは、それが強引なトリックに見えないという点。むしろ、「あの時、もうすでに仕込まれていたのか」と思い知らされる、その丁寧な設計こそが、Ever17の最大の武器なんです。
さらに特筆すべきは、視点の切り替えを巧みに活かした語りの構造です。本作では、プレイヤーが2人の主人公を交互に操作する形になっていて、それぞれの視点から物語を追っていく過程で、世界の見え方が徐々に変化していきます。その視点の違いが、最後に“ある一つの真実”を浮かび上がらせる装置として働く構造になっていて、この部分の巧妙さが、リプレイ時の感動をさらに高めてくれる要素になっているんですね。
一度エンディングを迎えた後に、もう一度最初からプレイしてみると、全く同じ場面なのに感じ方が180度違っていたりする。というより、すでに知ってしまったプレイヤーの側が、前とは違う視点で物語を“読み解き直している”感覚になる。その没入体験は、他のノベルゲームではなかなか味わえないもので、だからこそ多くの人が「記憶を消して、もう一度最初からプレイしたい」と口を揃えて語るんだと思います。
このように、Ever17は“物語を読む”という行為そのものを、プレイヤー自身の記憶と感情に深く結びつける構造を持っているんです。ただ展開を追っていくだけのゲームではなく、プレイヤー自身が物語の仕掛けの一部になっている感覚すら覚える。その没入度の高さが、今もなおEver17という作品を特別なものとして輝かせ続けている大きな理由なんだと、改めて感じます。
Ever17をおすすめしたい人
ここまでお読みいただいた方であれば、Ever17が単なるノベルゲームの枠に収まらない作品だということは、ある程度伝わっていると思います。ただ、だからこそ「誰に向いているのか」という点を、少し掘り下げておく必要があるんじゃないかと思うんです。
まず間違いなくおすすめしたいのは、物語の仕掛けや構造そのものを楽しめるタイプの人。たとえば、伏線を張り巡らせた長編小説や、二度見して初めて気づくような映画が好きな方にとっては、この作品はまさに“ど真ん中”です。最初は何気なく見過ごしていたやり取りが、後になって核心へとつながっていく体験は、まるでミステリーとSFとヒューマンドラマが見事に重なった一冊の本を読むような、そんな感覚に近いかもしれません。
加えて、物語にじっくりと時間をかけられる人──これもかなり重要なポイントです。というのも、このゲームは数時間で語り切れるようなタイプの作品ではなく、むしろ一定以上の“読了時間”を必要とする構成になっているんですね。だからこそ、最終盤でのあの衝撃が活きるわけですし、そこに到達してはじめて「この作品の意味」が見えてくる。つまり、テンポの速さや即時のカタルシスを求めるスタイルとは対極にある作品なんです。
それからもうひとつ、ノベルゲームというジャンルに対して、どこかで“もう一段階上のものが欲しい”と感じている人にも、このEver17は刺さると思います。シナリオの完成度はもちろんのこと、演出のテンションや音楽の使い方、視点操作を活かした構成など、どの要素も明確に“読み手を選んでいない”んです。むしろ、読み手に向かって「最後までたどり着いてくれたら、必ず何かが変わる」と問いかけてくるような設計になっている。だからこそ、読後の満足感が桁違いに大きくなるんです。
こうして振り返ってみると、Ever17という作品は、いわば“本気で物語と向き合いたい人”のために作られていたのかもしれません。そして実際に最後まで付き合った人だけが、その本質に触れることができる。そんな体験ができるタイトルって、今の時代でもなかなかないんですよね。
注意点と向いていない人
ここまでEver17の魅力を深掘りしてきましたが、一方で、すべてのプレイヤーに無条件でおすすめできるかというと、そう単純でもないんです。実際のところ、この作品には“ある種の忍耐”が求められる瞬間が確かに存在しますし、そのことを先に理解しておいたほうが、あとで戸惑わずに済むはずなんですね。
まず最初にお伝えしておきたいのは、序盤の展開が非常に静かで、淡々としているという点です。もちろん、これは後半での劇的な展開とのコントラストをつくるために意図された演出でもあるんですが、そこに到達するまでの間に“退屈さ”を感じてしまう人も少なくありません。特にアクションや即効性のある展開を求めている方にとっては、序盤のテンポにフラストレーションを覚える可能性があります。そうした“前半の我慢”を超えることができるかどうかは、この作品と真に向き合えるかの分岐点になる気がします。
さらに、プレイヤー自身が「物語を読み解こう」とする姿勢を持っていないと、Ever17の魅力は半分も伝わりません。ただ文章を追っているだけでは、物語の裏に隠された構造や伏線に気づくことが難しく、場合によっては「なんとなくよくわからないまま終わってしまった」と感じてしまうかもしれないんです。つまり、ある程度の“受け取る側の準備”も必要になる、ちょっと特異なタイプの作品なんですね。
あと、どうしても時間的な余裕がない方にとっても、この作品はややハードルが高くなると思います。なにせ最後までたどり着いて初めて意味が分かるような構造なので、ちょっとした空き時間に断片的に進めていくような遊び方では、本来の面白さに触れるのが難しくなってしまうんです。これは「一気に通して読むことで初めて成立する小説」と同じで、途中で長く間を空けてしまうと、重要な伏線や感情のつながりが薄れてしまう危険性もあるんですよね。
こうした点を踏まえると、Ever17は“手軽に楽しめるノベルゲーム”とはやや方向性が異なるということになります。ただ、それでも“時間をかける価値のある物語体験”を探している人にとっては、代えのきかない一本になる。それだけは断言できます。
まとめ:Ever17はなぜ“記憶を消してもう一度プレイしたくなる”のか
Ever17がこれほどまでに長く語り継がれている理由。それは、ただ面白いとか、感動したとか、そういった単純な感想の一歩奥にある、“体験そのものの強度”にあると感じています。物語を読んでいるはずが、気がつけばこちらの記憶や感情、認識そのものが作品に深く絡め取られていて、まるで自分が物語の中にいたかのような錯覚すら覚えてしまう。そんな感覚を味わった作品なんて、後にも先にもそう多くはありません。
そして何より印象的なのが、エンディングを迎えた瞬間に、プレイヤーの中からふと湧き上がる「この体験を、もう一度まっさらな状態で味わいたい」という衝動なんです。まるで、記憶をリセットしてでも初めてのあの驚きと感動を再び体験したいと思わせる。それは、単にストーリーの展開が予想を裏切ったからでも、派手な演出で驚かされたからでもなく、積み重ねられてきた“静かな違和感”の全てが最終盤で繋がっていく、その奇跡のような構造が心に残るからなんですね。
もちろん、万人向けの作品ではないということは正直に伝えておくべきだと思っています。序盤のテンポや物語のボリューム、読む側に求められる集中力など、ハードルに感じる要素も確かにある。でも、それを乗り越えた先に待っているのは、ただの“ノベルゲームの名作”という評価を超えた、人生において何度も思い出したくなるような記憶そのものなんです。
もし今、何か心に残る作品を探しているのなら。あるいは、しばらく物語に本気で向き合っていなかったと感じているのなら。このEver17というタイトルに、もう一度触れてみてほしいなと思います。ゆっくりでもかまいません。物語にじっくり向き合う時間を確保して、自分の感情をその中に預けてみる。そして最後までたどり着いたとき、あなたの中に何が残るのか。それはきっと、言葉にするのが難しいほど深く、そして静かに響いてくるはずです。